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2022年ノーベル物理学賞:量子もつれ光子を用いたベルの不等式の破れの実験と量子情報科学の先駆的研究で欧米の3氏に - 日経サイエンス

2022年10月5日

2022年のノーベル物理学賞は,量子もつれ光子を用いたベルの不等式の破れの実験と量子情報科学の先駆的研究で,仏パリ・サクレー大学のアスペ(Alain Aspect)教授,米のクラウザー(John Clauser)博士,オーストリア・ウィーン大学のツァイリンガ−(Anton Zeilinger)教授に授与される。

量子力学によれば,2つの物体を相互作用させることで,物理的な性質を相関させることができる。例えば2つの光子の偏光を互いに直交させる,量子コンピューターの量子ビット2つが同じ値を取るようにするなどで,これを「量子もつれ」と呼ぶ。単に性質が相関するだけなら珍しいことではないが,量子もつれが特別なのは,もつれ合った2つの物体の性質が,測定するまで具体的な値として存在しないという点である。量子もつれになった2つの光子は,偏光が「直交する」という関係だけが決まっていて,具体的な偏光の方向は決まっていないのだ。

量子もつれになった光子どうしは,たとえ銀河系の端と端に引き離しても,その関係が保たれる。それゆえ一方を測定して「縦偏光」という結果が得られたら,もう一方は「横偏光」になる。だがそれは測定する前から一方が縦偏光,もう一方が横偏光だったということを意味しない。測定方法を変えて一方の光子が「右上がり斜め偏光」であれば,他方の光子は「右下がり斜め偏光」になる。光子の偏光は測定するまでわからないのではなく,測定するまで存在しないのである。

かつてアインシュタイン(Albert Einstein)はこの量子もつれを「不気味な遠隔相関」と呼んで批判した。物体の性質は測定しようがしまいが客観的に存在するとの立場に立つアインシュタインは,量子もつれは量子力学の理論としての不完全さを表すものだと考え,1935年,ポドルスキー(Boris Podolsky),ローゼン(Nathan Rosen)とともに,この疑問を指摘する論文を発表した。量子もつれは3人の名を取って「EPRパラドックス」と呼ばれるようになった。

だが1964年にブレイクスルーが起きる。スイスのCERN(欧州原子核研究機構)の理論物理学者ベル(John Stewart Bell)が,EPRパラドックスを実験で検証する道を開いたのだ。彼は量子もつれになった物体の性質を測定する実験を考え,もし測定する前にその性質が具体的な値として存在していたとしたら測定結果が満たすべき不等式を理論的に導いた。実際に実験してこの不等式が破れていれば,量子もつれの存在が実証される。

5年後の1969年にクラウザー,ホーン(Michael Horne),シモニー(Abner Shimony),ホルト(Richard Holt)の4人がベルの不等式を実験で検証しやすい形に書き換え,量子もつれを検証する実験が始まった。それは量子もつれになった光子を右と左に飛ばし,その先にあるフィルターでそれぞれの光子の偏光を測定する実験だ。その嚆矢となった実験は1972年,クラウザーらがカルシウム原子のエネルギー遷移によって放出される量子もつれ光子を用いて実施した。そして,ベルの不等式が破れるとの結果を得た。

だがクラウザーの実験には抜け穴があった。実験では発生した量子もつれ光子のそれぞれについてどの偏光を測定するかを,光子源や相手方のフィルターとは完全に独立に選ぶ必要があった。だがクラウザーの実験ではフィルターで測定する偏光の角度が固定されていたため,それが量子もつれ光子の発生に影響を与えている可能性を原理的に否定できなかった。

1982年,アスペは新たな実験を考案し,この抜け穴を解決した。量子もつれになった光子が発生源から放出されてからフィルターの角度をランダムに変えることで,設定が光子に与える影響を遮断したのだ。アスペの実験によってベルの不等式は実証され,量子もつれの存在を疑う研究者は実質的にいなくなった。「測っていない値は実在しない。測って得られた値は,測る前にはそこになかったのです。私は大学生だったときにこの実験を知り,今も忘れられない衝撃を受けました」と名古屋大学大学院情報学研究科の谷村省吾教授は話す。

物理学者たちはその後も量子もつれの完全な実証を目指して実験を続けた。アスペの実験ではフィルターどうしが比較的近い場所に置かれていたため,それらの間に何らかの通信が起き,測定する偏光方向が独立でなくなる可能性を捨てきれなかった。ツァイリンガ−は近年,別々の銀河から来る信号に従って検出器の設定を切り替えることでこの問題を解決し,さらに光子の検出確率を大幅に上げて,残っていた抜け道をすべて塞いだ。こうして,量子もつれの存在は完全に実証され,パラドックスは解消した。

クラウザーの実験
中央のカルシウム原子から量子もつれになった光子を右と左に放出し,フィルターを用いてその偏光を測定した。ベルの不等式は破れたが,実験に抜け穴があった。

アスペの実験
光子を放出してから測定に用いるフィルターをランダムに選ぶことで光子源に対するフィルターの影響を遮断し,抜け穴を塞いだ。ベルの不等式の破れを実証し,量子もつれの存在を疑う研究者はほぼいなくなった。

ツァイリンガーの実験
光子の検出確率を向上するとともに,左右で異なる銀河からの信号によってフィルターを選択し,フィルターの間で通信が起きる可能性をなくした。抜け穴を完全に塞いだ実験でベルの不等式が破れ,量子もつれは実証された。
Image :ノーベル財団プレスリリースより

量子力学における不可解なパラドックスとして登場した量子もつれは,現在では量子暗号通信や量子コンピューターなどの量子情報技術を実現するために不可欠なリソースと捉えられている。例えば量子もつれになった光子どうしを通信チャネルとして使うことで,量子情報を遠くの光子にジャンプさせ,量子暗号を長距離通信することが可能になる。この技術は「量子テレポーテーション」と呼ばれ,ツァイリンガ−らが1997年に最初の実験を行った。

さらに近年の研究により,量子もつれはブラックホールの解明やホログラフィー原理といった理論物理学の最先端研究において,非常に重要な要素であることが明らかになっている。量子もつれの存在を実証した3氏の実験は,量子情報技術のみならず,量子情報を切り口にした物理学研究の新たな潮流の出発点になった。

古田彩


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